2020.09.14

CARS

初代ユーノス・ロードスターは今も実家のガレージで眠っている! 自動車ジャーナリスト、藤野太一さんのロードスター愛に拍手!!

マツダが「人馬一体」をテーマに開発した2座オープンカー。ユーノス・ブランドから登場した初代は1989年のデビュー。2代目からマツダ・ロードスターと名を変え、現行モデルは5代目となる。

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これまで出会ったクルマの中で、もっとも印象に残っている1台は何か? クルマが私たちの人生にもたらしてくれたものについて考える企画「わが人生のクルマのクルマ」。自動車ジャーナリストの藤野太一さんが選んだのは、「ユーノス・ロードスター」。昭和から平成へという激動の年に、ユーノス・ロードスターと出会い、クルマやサーキットの楽しさを知った。わが人生のエポックな1台と藤野太一は言う。

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恩車であり、愛車だ!

1989年、わたしの10代最後は激動の1年だった。1月7日、昭和天皇が逝去され、平成の世が始まった。4月に初めて消費税が導入された。国外ではベルリンの壁が崩壊し、中国では天安門事件が起きた。

その一方でクルマ好きはさらなる衝撃を受けた年でもあった。トヨタが初代セルシオを、日産がR32スカイラインGT-RやZ32フェアレディZを立て続けに発表。そして、マツダからはユーノス・ブランドで初代ロードスターが発売された。

裕福な家庭に育った幼馴染が発売後すぐに親に買ってもらった赤いロードスターのステアリングを初めて握ったときのワクワク感を今も鮮明に覚えている。オプション装着されていた細身のナルディのウッド・ステアリングへわずかに力を込めると、大きめのロールを伴ってヒラリ、ヒラリと曲がる。決して速くはないけれど気持ちが高揚した。いつかこのクルマを手に入れようと決意した。

学業そっちのけでアルバイトにあけくれ、120万円の頭金をつくった。知人のつてでオートオークションに潜り込み、程度はそこそこ、シルバーの初期型ロードスターを手に入れたのは92年のことだった。

北は北海道、南は九州まで旅行にも出かけたし、デートにも使った。ご多分に漏れず峠道を攻めてぶつけたこともあったし、サーキットを走るようにもなった。するとチューニング欲がわいてくる。ガソリン代はもとより、オイル、タイヤ、その他パーツのもろもろは学生には痛い出費だった。少しでも費用を節約すべく、深夜のガソリン・スタンドでアルバイトをして、休憩時間にこっそりガレージと工具を拝借していた。オイル交換はもちろん、ブレーキ・パッド交換やエア抜き、ダンパーやスプリングの取り付け方、ダブルウィッシュボーンの構造なんてものも、そのときに分解しながら覚えた。

社会人になってもそのロードスターに乗り続けた。カーセンサーの編集部に在籍していた頃にはちょうど走行距離が10万kmに到達して、中古車では定番のリフレッシュ企画を任せてもらったりもした。転勤を機に実家に預けて以来、ほとんど乗る機会がなくなったのだけれど、いつかはエンジンのオーバーホールをしようとピストンやガスケット類などをコツコツと買い集めてもいた。

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