2021.11.27

CARS

あの伝説の名車「ポルシェ906」がやってきた!


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906は、デビュー戦となった66年のデイトナ24時間で総合6位、SPIIクラス優勝。その後もセブリング、モンツァでライバルのフェラーリ・ディーノ206SPを抑えてクラス優勝を果たしたほか、タルガ・フローリオでは総合優勝を獲得。さらに映画『フォードvsフェラーリ』で描かれたル・マンでは、2リッターながらフォードGT40に次ぐ総合4位から7位を独占する活躍をみせ、この年のスポーツカーSIIクラス、スポーツプロトタイプSPIIのタイトルを総なめにするなど、レース史に残る2リッター・スポーツカーの傑作として知られている。



一方、ポルシェ史という視点から見ても906は重要な意味を持っているのをご存知だろうか?

そもそも906は、66年からFIAのマニュファクチャラーズ・タイトルが年間生産台数50台以上のグループ4スポーツカーになったのを受けて開発されたモデルだ。

その指揮を執ったのが、65年からポルシェ・レーシング部門の開発責任者に就いた若き日のフェルディナント・ピエヒだったのだ。

ピエヒは責任者の座に就くや否や、前任者ハンス・トマラの計画をすべて白紙に戻し、自らの体制を一から築き直していく。



904の箱型プレススチールフレームから軽量な鋼管スペースフレームとなったシャシーは、その後も連綿と補強、改良が加えられ、その設計思想は907、908、そして917にまで受け継がれる(ホイールベースはずっと2300mmのままだ)こととなる。またリアに搭載された空冷フラット6ユニットは市販911のエンジンと基本的に同じものだが、その開発の段階でレースでの使用を見越してハンス・メッツガーにウエットサンプからドライサンプへと設計変更を指示したのもピエヒであった。

またピエヒは、シュトゥットガルト工科大学の風洞施設を使いボディデザインを行うなど、それまでとは違う、数学的、科学的開発姿勢をポルシェに定着させた。そうした彼の改革の成果として結実したのが、70年の917Kによるル・マン24時間総合優勝なのである。

つまり906は、その後の917にまで続く“レンシュポルト”の起源であり、ピエヒ時代の幕開けを象徴するモデルでもある。

そういう意味でもポルシェ・エクスペリエンス・センターのオープニングを飾るゲストとして、最も相応しい1台といえるだろう。

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文=藤原よしお 写真=柏田芳敬

(ENGINE2021年12月号)

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