2024.09.14

CARS

2WDと4WD、どっちが本当の911なのか? 世界最高、最速の、ポルシェの絶対テスト・ドライバー、ワルター・ロールに聞いた!【エンジン・アーカイブ「蔵出しシリーズ」】

911の味を決める絶対的なテスト・ドライバー、ワルター・ロール氏。

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バイエルン・ハウス

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9時きっかり、僕たちがちょうど門前に立ったとき、気配を感じたのか、ワルター・ロールは呼び出すまでもなくドアを開けて現れた。1980年にはフィアット131アバルトで、1982年には4WDを武器にしたアウディ・クワトロに時代遅れのオペル・アスコナ400でたたかって、世界ラリー選手権(WRC)ドライバーズ・タイトルをかちとった男。ラリー界の「キング」といわれ、ニキ・ラウダをして「運転の天才」と激賞せしめ、イタリアとフランスの専門記者の投票で、「20世紀ベストのラリー・ドライバー」にえらばれた男。1993年からは、ポルシェの絶対的テスト・ドライバーとして、地獄のようなニュルブルクリングのオールド・コースをだれよりも速く走り、絶対スポーツカーの進化を担ってきた男。その男が「グッド・モーニング!」といって破顔していた。身長196cm――、声が頭の上から聞こえた。

ラリー界の「キング」といわれた男。

「これは典型的なバイエルン・スタイルです。空気のきれいなところで暮らしたかったので、ここに家を建てたんです。ワイフのモニカは毎日、レーゲンスブルクに通っています。じぶんのビジネスをやってますからね。今朝も911のカブリオレに乗って、もう出かけてしまいました」

「典型的なバイエルン風」というのは、大きな屋根にスタッコとウッドによる外壁を持つ外観と、縦長の木枠窓を連続させて外光をふんだんに取り入れた屋内、そして仕切らない開放的な内部空間、というようなキイワードを持つ家のことらしい。僕たちのほかにはだれもいない。開放されたいくつもの窓から侵入してくる微風が部屋をめぐるだけだ。

すると、ネコが顔を出した。

「リーザというんですよ」

ワルター・ロールがはじめてラリー競技に出場したのは1968年、21歳のときだが、モニカとはその数年前に知り合った。当時、ワルターが打ち込んでいたボート競技のクラブでだった。かれらは10年あまりの交際を経て1978年に結婚するが、子どもはいない。

「ラリーで忙しかったということもあったが、子どもができたら大きなリスクを犯さなくなるのをおそれた。モニカはわかってくれた。そして1987年にラリーをやめたときには40歳だった。もう遅い、とおもった」と、ワルターはドイツ人ジャーナリストとの共著の自伝(“Walter Rohrl Diary”)で述べている。「リーザ」は子どもなのかもしれない。


ポルシェ最初の4WD

「ポルシェの開発にはじめて関係したのは1982年でした。私がオペル・アスコナ400でWRC(世界ラリー選手権)のチャンピオンになった年。1月下旬の第1戦、モンテカルロ・ラリーで勝ったすぐあと、ヴァイザッハの開発のトップだったヘルムート・ボット教授から電話があったのです。4WDのポルシェを一緒に開発したい、という。私はモンテカルロからオーストリアに直行して4日間、ポルシェ初の4WDをドライブしました。アウディ・クワトロと比較しながら」

1982年はオペル・アスコナ400で2度目のチャンピオンになった。


それはヴァイザッハが911をベースに1台だけつくった実験車だったという。その年からWRCは、連続する12カ月にベース車200台を生産すれば出場できる「グループB」カテゴリーが設けられていた。戦場が、アウディ・クワトロを筆頭とするスーパーパワーの「グループB」4WDモンスター・マシン一色になるのは翌1983年からだが、1982年のワルター・ロールは、「グループ4」(連続する24カ月に400台のベース車を製造)カテゴリーの後輪駆動車、オペル・アスコナで不利なたたかいをたたかい、アウディに勝った。

新テクノロジーによる新次元の戦闘がはじまったこの時期、ランチア、フォード、プジョー、MGなどのメーカーが次々マシンを開発しはじめ、WRCは空前の盛り上がりを見せようとしていた。そんななか、ポルシェも新マシン開発を構想し、ワルター・ロールの助力を要請したのだ。

1981年、WRCのサンレモ・ラリーでは、ポルシェ911SCで最後まで優勝争いをした。


ワルターは前年10月のWRCサンレモ・ラリーに、ポルシェ911SCで出場し、最後の最後でドライブシャフトの破損によってリタイアするまで、アウディ・クワトロと熾烈なトップ争いを演じた、という実績をもっていた。ボット教授がワルターに電話したのは不自然なことではない。この試作車は、1985年にデビューする959の遠い祖先である。その85年、ワルターはアウディのドライバーだったが、「3、4カ月に一度ぐらいの割合で、ニュルブルクリングでポルシェ959をテストしていた」という。「959はとても運転しやすいクルマでした。重いエンジンが後ろにあるため、コーナーでスピンするのが宿病だった911も、電子制御の賢い4WDを持つ959では、スピンしないクルマになったんですね」。


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