2020.05.03

CARS

マレーシアのとあるガレージの片隅で埃をかぶっていたボロボロのレーシングカー それはかつて日本人ドライバーが乗ってル・マンで活躍したとんでもないヒストリーを持つクルマだった!

RA20型トヨタ・セリカ2000とPA10型日産スタンザ

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とはいえ、それは決して簡単なことではない。例えばセリカはドイツでヒストリックカー・ラリー・チームを運営し、セリカ・オーソリティとしても知られるペーター・リッチさんの所有車だったのだが、いざという段になって「これはドイツで生まれたクルマだから日本へ出したくない」と渋られたという。またスタンザもポルトガルのミュージアムが閉鎖されるのに伴い放出されたものだったが、買った後もなかなかクルマの真贋が確認できずにいた。

しかし、国江さんは熱意と時間をかけて交渉し、調べあげ、ひとつひとつ問題をクリアにしていく。「セリカはリッチさん家族の人生を背負ったようなクルマでしたからね。TTEの設立時からメカとして働き、このクルマのレストアをしたジョン・デイさんも最初は日本に持っていくことを反対していたのですが、話していくうちに意気投合し"これは君が持つべきだ"とリッチさん共々賛成してくれた。スタンザは、オーストラリアで後から付けられたシャシー・プレートとは別に、本来の打刻をバルクヘッドに見つけることができ、日産側の資料と照合した結果、本物であることが証明されたんです」

このように持ち帰ってきたクルマを仕舞い込むのではなく、積極的に走らせて楽しむのが国江流。昨年末もACCRセントラル・ラリー愛知/岐阜にスタンザで出場し、見事総合2位でフィニッシュしている。

A10系スタンザ/バイオレットをベースにボディやサスペンションなどあらゆる部分を強化し、200psまでチューンした輸出用の2リッター直4SOHC"LR20B"を搭載したワークス・スタンザ。「この当時は何度もバラし、手を加え、1台のクルマを何年も使う。だからチームから注がれた愛情の深さが、最近のラリーカーとは違うんです」とは国江さん。

「もったいない、壊したくないという気持ちは当然あります。でも僕らが音とともに走り去る姿から受けた鳥肌が立つほどの感動を多くの人と分かち合いたい。だから色々なイベントに参加して全開で走り続ける、アクセルを床まで踏み込んで走りたいというのが、僕のスタイルです」

そう話す国江さんは常にアンテナを張り、1台でも多くの日本のレーシングカーを救い、動態保存しようと今日も努力を続けている。それはクルマ趣味という域を超え、もはや文化事業と呼んだ方が相応しいことかもしれない。

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文=藤原よしお 写真=望月浩彦

(ENGINE2020年3月号)

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